
修二会が行われている明朝の東大寺二月堂
2026年3月12日奈良・東大寺お水取りを見に行きました。故・猿渡管長の思い出話を通して3の続きを記したいと思います。
若狭の旅に行かれた時の話から始めたいと思います。
観音を求めて、福井の方へ巡行の一つとして、奈良へお水を送るとされている場所を探し求めて行ってみる事だったそうです。

閼伽井屋
東大寺二月堂の前に閼伽井屋(あかいや)通称・若狭井という井戸から汲み上げた水を、二月堂のご本尊・十一面観音にお供えする儀式です。(この香水を飲むと病気が治るとされているそうです)この若狭井が福井県の若狭のある場所からつながっていて、そこから水が来るとされています。
福井市内を流れる遠敷川(おにゅうがわ)沿いにある神宮寺(神仏混淆のお寺)。このお寺は「お水送りのお寺」として知られています。開創714年。東大寺の大仏開眼より三八年も前の様です。
毎年3月2日に、この神宮寺の境内にある閼伽井戸から汲み上げた閼伽水を遠敷川の上流の川原まで運び、そこからお水を送るのだそうです。この河原が「鵜之瀬・うのせ」だそうです。祭りのクライマックスに当たる、神宮寺の御住職が立たれる場所に(河向うの場所)立ってみたいと車から降りて駐車場を弟子が探していたら、何処からか丁度人が現れて、一人のお爺さんが「どちらからですか?」と聞かれたのです。「九州からで、御水送りの事を調べに来ました。」と話をされたら、そこは御水送りの資料館で、御水送りの行事を橋型とビデオなどで解説している所に案内されたそうです。
お爺さんは「あの先の岩の上から御水を送るんや。」と指差す所が最初に車を止めた所の対岸でした。当日は仮設を築き河原から岩場に渡るそう。「本当はあかんけど、行ってみるかね」とその場所を案内して下さったそうです。
そこは本来結界がされ、入ることは出来ない。
「その平らな岩の上から御水を送るんや。あんたそこに立ちなさい。」と故・猿渡管長に言われ説明が続きます。
「その先にある川にせり出した大きな岩の下に洞窟があって、その穴が奈良に続いていて、お水を送ると十日でキッチリ着くんや」と説明されました。
お爺さんは東大寺創建の良弁 (ろうべん・良弁僧正は、お水取り行事の創始者)の弟子(実忠・じっちゅう・インド僧)実忠さんが、東大寺二月堂に十一面観音さんをお祀りし、「日本国中の神名を読み上げ、神々の守護を祈ったが、若狭の遠敷明神は魚釣りに時を忘れ、遅刻してしまった。そのお詫びに十一面観音に供える閼伽水を二月堂に送る事を約束されたんじゃ」と話されたそうです。
このお爺さん「わしは東大寺のお水取りに毎年呼ばれている。良弁さんは、わしの所の出じゃからの」との事。
良弁さんの子孫という事になりますね。 良弁さんの出生は謎が多く、赤ん坊の時に大鷲にさらわれた伝説があるそうです。偶然な不思議な出会いがありました。
神宮寺(お水送り神事)では三月二日の夕方から本堂内で達陀松明(だったんたいまつ)が点火され、本尊前の内陣を三回駆け回る儀式があるそうです。 その後、駕籠(かご)松明が点火され火の行列が鵜之瀬まで続くのだそうです。
この様にして、お水は奈良へと送られるのだそうです。
この若狭の地名は朝鮮語のワカソなのだそうで、意味は「行き来」なのだそうです。また、遠敷は「遠くにやる」と言う意味の様です。
奈良東大寺・大仏造立秘話とお水取りの話を次回にしたいと思います。
お楽しみに。
合掌 大慈大悲
役僧 星野 研至






