
東大寺大仏殿

東大寺大仏1

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故・猿渡管長は(猊下の考え)東大寺の大仏を確立する為に、若狭をはじめ北陸には、青銅を採る方法や青銅を溶かして鋳型にはめる技術を持った職人がいたそうです。彼らが、東大寺の大仏造立に召し出され金銅仏つくるのに、水銀に熱を加えたりする作業で、水銀中毒になってしまう。
今日でいう水俣病のようになるので、苦しみ、足も立たず故郷に帰ることも出来ないその人達に松後(末期)の水として飲ませたのが、若狭から来た水と言い聞かせて与えたもの。 神の加護や仏の慈悲を願って飲ました水とおっしゃっていました。
[私は(管長)東大寺の大仏さん、 盧舎那仏(毘盧遮那仏ともいい、密教では大日如来と同じ)を造る時に、犠牲になった大勢の人達の供養が、お水取り行事の原点だと思っている。大仏造立で夥しい人々が、どろどろした青銅をかぶったり、水銀による中毒で、熱さや痛みで死んでいっている。
人々がお松明の火の粉を浴びることで、死んでいった人達の熱さや痛みを感じ、 故人を偲ぶことで、鎮魂供養としていたと思われる。(お前たちも感じなさいという事であった。ご自分のご先祖の年忌などの法事では、故人を思い偲ぶのが一番の供養だと話されていました。)大仏殿などの国家行事の犠牲になって死んでいった無縁仏のいまいましさがあると。
水を観音さんに供える儀は、大仏造立当時既に、観音信仰が普及していて観音さんに水を供える事で、死んでいった人達の痛み苦しみを、観音さんに身代りをしてもらうという信仰によるものだと思う。二月堂のお水取りも、原点にかえって、素直な気持ちで、犠牲になって亡くなっていった人達を偲んで大仏さんを拝むことだと言われます。
お水取で火を焚き水をとるという行法は、火と水を文字に表すと、「火水・かみ」と読めるように、神の力をそこに見ているからである。お水取の行事は、天下国家を守り、人々の病気平癒とか、飢餓を救うとかを、 神に祈り願う行事でもあるといえる。]
猊下の仰るように、大仏造立でお亡くなりになられた方々等を偲びつつ、今回お水取りの行の一端を見させて頂きました。
管長曰く、古い文献によると正月元旦に除夜の鐘が鳴り終わって、井戸から汲み上げるのを若水といい、新年初めに汲む水で一年の邪気を除く水とされていた。昔の人は、若狭水をいただいて、水で体をそして、お腹まで清めて、新年を迎え新しい出発をするという縁起をかついで、年明け最初の水をいただいたそうです。
因みに太江寺は、奈良の大仏建立の発願をした聖武天皇より建立費用等を集める役目を僧の行基に委ね全国を廻り伊勢の国に入り伊勢神宮を参拝後、現在の夫婦岩前で興玉神石に祈りを捧げました。この時に、竜神(竜は水の有る所に居るとさる)と共に神仏(竜神さんが運んでくれる役割を果たしました。乗り物の役回り)は音無山に登った(別の言い方をすると、音無山に下ろしたと言う表現がよいかも。竜神さんが運んでくれて。現在の太江寺)神仏(興玉の神、天照大神、千手観音)を祭ったのが、太江寺の始まりとされています。約1300年前に行基が開創したお寺になります。その行基さんのお堂が東大寺に建立されていましたのでご紹介します。

行基堂1

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別の秘話はまたの機会に。
合掌 大慈大悲
役僧 星野 研至






